トランスジャパンアルプスレースTJAR2022完踏『中島裕訓』さんインタビュー<前編>〜10年越しの夢を叶える。TJAR出場のきっかけ〜

トランスジャパンアルプスレース、通称「TJAR」は富山県の日本海0mをスタートし、北アルプス、中央アルプス、南アルプスを越えて静岡県太平洋の大浜海岸0mをゴールとする全長415kmの日本で最も過酷と呼ばれるレースです。今回、2022年に完踏を果たした、中島裕訓(なかじま ひろのり)さんにTJARについてのあれこれを聴くことができました。TJARを目指している人はもちろん、ランナーやトレイルランナー、ハイカーなどジャンルを超えた幅広い人に読んでほしい内容になりましたので、ぜひご覧ください。

 

ゴールの大浜海岸にて。息子さんとゴールへ向かう

ーーまず、率直にTJAR2022を完走されて改めて思うこと、感じられていることを教えてください。 

完走して達成感とか色々あるんですけど、結構すぐに「あの時こうしときゃよかった」とか「この時もっとこれできただろう」みたいなのが山のように出てきました。だからもう今回は完走できました。それで終わりじゃなくて、やっぱり次はちゃんとレースとしてもっとチャレンジしたいという気持ちが強いです。

 

ーー山梨大学の先輩ということで縁を感じさせていただき、今回の機会を設けさせていただきました。山梨大学の時の中島さんはどんな学生でしたか?

私は、教育人間科学部の障害児教育コースに所属していて、その科は15人ぐらいしかいないんです。その障害者の方と関わるサークル、ボランティアみたいなのが多かったんで結構そういうのは熱心にやっていました。山は個人的に少し登っていたぐらいです。

 

ーー学生の時は山に登られていたんですか?

高校時代はサッカーをやっていたんですけど大学で初めて自分の意志で山を登るようになりました。私の場合父が長野県北アルプス南部遭難防止対策協会の隊員をやっていたんです。その縁もありますね。

 

ーー簡単に走歴と山歴を教えてください。

山梨県に「 富士山マラソン」という大会があるんですが、漠然とフルマラソンを人生で1回は走ってみたいなと思い、第2回の富士山マラソンに出場したのが最初でした。タイムはギリギリサブ4でした。めちゃくちゃきつかったんですけどそのまま2年後3年後にちょっとずつフルマラソンのタイムを縮めて行こうと少しづつ継続して走っていきました。それから毎年富士山マラソンには出てますね。

 

ーー山に関しては、お父さんが山関係のお仕事しているということでいつ頃から登っていたのですか?

物心つく前から自動的に夏の行事として山に登る、身近に山がすぐにあるような環境でした。

 

レース後半のロード。しらかば荘にて

 

ーーTJARに出ようと思ったきっかけは何だったんでしょうか?

ずっと山が好きだったので、TJARはトレイルランレースみたいな要素もあるけど、どちらかというと山岳耐久縦走レースみたいなイメージ。夢がありますよね。長野県出身、山梨県民(いわゆる海なし県)の私からみれば、日本海から太平洋まで海から海をつなぐレースというのがやっぱりすごい魅力的だと思っています。憧れですよね。そういうのがあっていつか自分も出られたらいいなっていう、夢物語みたいなものをずっと思い描いていました。

 

ーー憧れのTJARの存在を知ったのはいつだったんでしょうか?

やっぱりNHKの放送だと思います。一番最初にトランスジャパンの存在を知ったのは2012年の望月さんが出ている放送です。その時の放送が衝撃でした。

 

ーーそれ以来の憧れということですね。10年越しの夢が叶ったんですね。すごいです!最初は憧れから徐々に自分で出てみたいという思いに変わっていったと思うんですけど、出場するまでの道のりはいかがでしたか?

出ようとするにはいろいろな条件があるのですが、まずフルマラソンのタイムが3時間20分をきる必要があります。それで漠然と3時間をきる、サブスリーを達成するのが1つ自分の中で引いた線でした。3時間20分っていう条件なんだけど3時間ぐらいで走れるようになるのが1つかなとか、100キロウルトラマラソンで10時間をきる走力をとは考えていました。でも、それよりも自分は山が好きだったから、いろんな山を登りながら、山の経験値を上げて、楽しみながら無理なく走力も上げつつという感じでやっていました。例えば山梨百名山、日本百名山とかいろんな山がある。TJARに出場するには山の課題も条件としてあるので、まず書類選考を突破するための条件をチラチラ見ながら少しずつ自分に実現可能なところからやってみよう!となって、ちょっとずつ積み上げていったという感じですね。具体的にそれを意識してトランスジャパン行けるぞ!となったのは3、4年ぐらい前にサブスリーを達成したときです。このくらいならいけるかもという気になりました。そして、選考条件になっているビバークスタイルの山行も同時進行でやっていったという感じです。

レース後半。しらかば荘にて

 

ーーサブスリーを達成されたとのことでしたが、そのために特化してトレーニングをされましたか?

実はそんなに走り込んでないんです。まあそれなりには走りましたが、大会に出ながら、大会によってそれに向けて頑張っていくというスタイル。そのスモールステップを経て、結果が次につながっていくという感じでした。例えばランニングクラブに入ってとか必死に練習って感じではなかったんです。大会を通じて自己ベストを更新していってその先にサブスリーが達成できた感じです。

 

ーー中島さんはTJAR本戦前にコロナにかかってしまったそうですが、今振り返ってみるとどんな心境でしたか? 

僕のパターンは子供からうつって、次に妻がうつって、最後にうつったのが僕でした。

濃厚接触者から2週間ちょっとぐらいずっと、自宅待機状態でした。マイナス面からいうと、 その時期に下見、試走、ロードも全部車や自転車でチェックをしたいと思っていましたが、それらがすべてできなかったことです。装備品のチェックも含めて予定してたのですが、全部パーになってしまったんです。それでスケジュール的なところでメンタルもちょっと追い込まれたところはあります。ただ逆を言えば、2週間で完全に疲労抜きができた。それは良かったというふうに開き直って思うしかないかなと思って、メンタルを持っていきました。

 

ーーその状況の中でも完踏されたっていうのは本当にすごいですね。

僕も含めてTJARに出場した選手で3人直前に感染した人がいたんですが、かかった人はみんな完走してますね。僕より早く走ってます。

 

ーーすごいメンタルですね。トランスジャパンを通して山との向き合い方っていうものの変化はありましたか?

山との付き合い方は基本的には変わりないです。トレランの大会とかでもそうかもしれないけど、特にトランスジャパンで通る場所は完全に山岳地帯です。山は正しく恐れないといけない場所、危険があって最悪命を落とすかもしれないリスクがある。これはレースだろうが一人で行く山行だろうが、自然に対しての畏敬の念を持つということは変わらないと思ってます。ただ変わったとすれば、トランスジャパンを通して付き合い方の幅が広がったと思います。同じようなことをやっている仲間、同志との出会いがありました。こうやってインタビューをいただいてるのもトランスジャパンに僕が出ていなかったら絶対になかった事じゃないですか。それはトランスジャパンに出てよかった1つだと思います。

レース後半。南アルプス入山初日

 

続きはこちら>>トランスジャパンアルプスレースTJAR2022完踏『中島裕訓』さんインタビュー中編〜出場するために準備してきたこと〜(近日公開予定)

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走って47都道府県をめぐる旅「日本一周☆旅ラン」を実施&完走(2015-2016)。 サブスリー達成。トライアスロンアイアンマンレース完走。「走る」を通じて「自然」、「旅」、「人」、「走ること」のすばらしさや楽しさを伝える。