こんにちは。旅ランナーいっちーです。
今回は、2016年に僕旅ランナーいっちーこと一ノ枝亮輔が日本一周を達成後に書き記した記録を公開します。実は、別に日本一周ページを作っていたのですが、僕のとんだ凡ミスでサイトが見れなくなってしまい自身スキルでは復元不可能な状態になっていしまいました。(泣)
最近思い立って読み返して、これはぜひ残しておきたいと思い、ハシレルヤ!に投稿を決めました。これから新たなチャレンジをする人にとって少しでも役に立つ情報となれば幸いです。
2016年11月1日(火)14時20分頃。東京駅前行幸通りにて日本一周☆旅ランのゴールをしました。
2015年9月5日(土)東京の皇居をスタートし太平洋側を南下。海岸線沿いを中心に時計周りに沖縄、北海道と行き47都道府県、424日間、12,229kmを走ってゴールの日を迎えることができました。
この日本一周☆旅ランに関わってくださった皆さまに感謝を申し上げます。
目次
- ◯ゴールを迎えて
- ◯伝えたいのはありがとう。
- ◯何で日本一周を走ったの?
- ◯日本一周は走る前からはじまっている
- ◯日本一周&世界一周の先人に会う
- ◯日本一周☆旅ランのテーマ決定
- ◯日本一周☆旅ラン424日間のルート
- ◯日本一周☆旅ランスタート
- ◯初日から困難を極めた日本一周
- ◯泊まる場所の変化
- ◯果てしなく続く道。不安で孤独な424日間
- ◯やりたいことの中にもやりたくないことはある
- ◯辛いときにどうするか
- ◯自然との出会い
- ◯生き物との出会い
- ◯ラン仲(ランナー仲間)との出会い
- ◯出会いと別れを繰り返す
- ◯日本の魅力と旅ランの魅力は無限大
- ◯自分の可能性は無限大
- ◯やりたいことはやるべきだ
- ◯やれるかどうかなんてわからない。You やっちゃえば!
- ◯心に強く思い描いたものは実現する
- ◯ゴールラインはスタートライン
- ◯この世界は夢であふれている
- ◯限りある時のなかで
- ◯僕の思い描く理想像
- ◯あなたの人生はあなたしか決められない
- ◯きっと大丈夫
- ◯さいごに
◯ゴールを迎えて
ゴールの瞬間は、一緒に走っていただける仲間、またゴールを出迎えていただける人を募りました。募って一緒に走ってくれること、出迎えてくれることに本当に僕は幸せものだなあ。有難いなあと感じていました。
日本一周☆旅ランの多くは一人で孤独に走ることがほとんどですがやはり一緒に共有できる仲間がいるというのは本当にいいなあと感じます。
ゴールの際には帰ってきた~!という喜び、終わるんだなあ~という寂しさなど様々な感情が入り混じっている反面、皆さんが見ているのでしっかりとしなきゃーとも思っていました。
一緒に走っていただけた方、出迎えていただいた皆さんには本当に感謝を申し上げます。
◯伝えたいのはありがとう。
日本一周☆旅ランを終えて皆さんに言いたいこと、伝えたいことは何だろうと思っていました。424日の間、本当に色々な人にお世話になりました。良くしていただきました。
車越しから応援の声をかけてくれる人。
あめ、みかん、飲み物など毎日何かしらをいただいている時もありました。
ご自宅に泊めさせていただいた時もありました。
日本一周☆旅ランの一部を共有し一緒に走っていただけたときもありました。
また、直接ではなくても、SNSなどを介して僕の旅ランを楽しんでもらえたり、応援メッセージや激励を受けたりしました。
そう言ったお世話になった人に、単純ではありますが心を込めて「ありがとう」の言葉を言いたいと思います。本当に感謝の言葉を申し上げます。
ありがとうございます。
◯何で日本一周を走ったの?
そもそも何で日本一周を走ろうと思ったのか。そう疑問に思う方も多いと思います。
日本一周☆旅ランをはじめる前、僕は東京で会社員として働いていました。職業は鉄道会社で辞める前には電車の運転士として働いていました。働いていく中で僕自身違和感を持ち始めていきました。
「このままでいいのかな?ずっとこの会社で定年まで働いていくのかなあ?」
と感じていて、僕の中では定年まで働いていくイメージが持てなかったのです。
こういうことはみんな一度は思うことなのかもしれません。
そういう時期にはアンテナが敏感になっているので本を読んでみたり、人と会ってみたり、セミナーに参加してみたりして自分の「やりたいことは何か?」「好きなことは何か?」を改めて考え直す期間がありました。
そして考え抜いた結果出た答えが、
「旅をすること。走ること。」でした。
考え直す前には漠然と世界一周をしたいなあ~と思っていたのですが、世界を見る前に自分が生まれたこの日本という国をもっと知りたいと思うようになりました。(もちろん世界を色々見たいという思いもある。)
そうして、日本一周☆旅ランをやろうと思い立ったのです。
◯日本一周は走る前からはじまっている
今回の日本一周を走るにあたっての準備期間が1~2年程ありました。(何をやりたいのかを考え直す期間も含めて)
そこで今できることは何かを考え、目標を立てて、小さなことから今できることをやっていきました。
よく言われるのは大きいことをするには、まずは「小さなことやる」、「今できる身近なことからはじめる」という事。
具体的には、
・休みを利用して走ったことない場所へ行き走る。それをブログ上に発信する。(いわゆる旅ラン)
・日本一周を走りきれる為のからだづくり。
・サブスリーを達成する。(フルマラソンで3時間を切ること)
・ウルトラマラソンに出場し完走する。(100km)
・トライアスロンのロングの大会を完走する。(スイム3.8km,バイク180km,ラン42.195km)
といった今からできることや目標を設定し、1つずつやっていこうと決めたのです。
そう言った今やれることと同時進行して日本一周を走る計画を立てていきました。
そして、その目標を1つずつ達成していったのです。
◯日本一周&世界一周の先人に会う
計画を立てるにあたり、
「実際に日本一周を走った人というのはそもそもいるのだろうか?」
と疑問が出てきたのでネットや本屋へ行き、走って日本一周をした人がいるのかを調べました。
自転車で日本一周というのはよく聞くが走るってのは全然聞かないし調べる前にわかっているのは芸能人の間寛平さんがチャレンジした「アースマラソン」だけでした。
ネットで「日本一周 マラソン」や「日本一周 ランニング」などと検索しているとヒットしたのが愛知県春日井市在住で走る書道家「波多の明翠(はたのめいすい)」さんのサイトでした。その内容は日本の47都道府県を走りその各地で書道パフォーマンスをするというものでした。
「ウォー!実際に日本一周を走っている人がいた~!」
とテンションが上がった僕はぜひお会いしたい!と思いお手紙をしたためて後日、波多の明翠さんに会ってお話をさせていただきました。
今の時代に「メールやLINEなどではなく手紙で送ってもらえるなんて!」と明翠さんに言っていただいを印象に覚えています。
また、日本一周にとどまらず世界を走っている人がいるということも知りました。世界一周なんて寛平さんくらいのもんだろう!と勝手に思っていた僕は衝撃を受けたことを覚えています。
その人は「高繁勝彦」さんという方で当時は大阪を拠点にアドベンチャーランナーとして世界で活動をされていました。
高繁さんの活動は、「PEACE RUN 世界五大陸4万キロ ランニングの旅」という挑戦で、 競わない争わない、同じ時代を生きる仲間・同朋たちと共に走る…「共存共走」をテーマに走り続ける。
というものです。これまで大陸ごとや区間に分けて世界を走っていてアメリカ横断。オーストラリア横断。ニュージーランド縦断を達成されている。(2016年11月6日ヨーロッパ第1編を完走されました。)
またまた、テンションが上がりに上がった僕は高繁さんのランカウンセリングがあるのを知り、アポを取って大阪へ行き相談にのっていただきました。
◯日本一周☆旅ランのテーマ決定
日本一周を走るにあたりやりたいことが色々あったのですが精査し次の3つのテーマを軸に走ることを決めました。
テーマ1「走」 47都道府県のランナー仲間をつくる
テーマ2「生」 おもしろい日本人に会う。(様々な生き方、働き方をしている人)
テーマ3「魅」 日本の魅力に触れる。
この3つをテーマを決めて今回の日本一周☆旅ランはスタートしました。このテーマも大切ですが、一番に「楽しむこと」を大前提として走ることを決めました。
◯日本一周☆旅ラン424日間のルート
大まかな日本一周のルートは次の通りです。
東京皇居→海岸線沿いを中心に太平洋側を南下→岡山瀬戸大橋を渡り四国→しまなみ海道を走り広島尾道→鹿児島からフェリーで沖縄(最南端波照間島、最西端与那国島を到踏)→日本海側を北上→青森青函トンネル(新幹線)を通り北海道木古内町→最北端宗谷岬、最東端納沙布岬を到踏→北海道函館よりフェリーで青森大間へ→太平洋側を南下→内陸県も通って47都道府県を走り東京駅前行幸通りゴール
総日数424日。総総距離12,229kmとなりました。
◯日本一周☆旅ランスタート
2015年9月5日に東京の皇居桜田門をスタートをしました。この時は事前にスタート日時を発信し、姉2人を含む計25名の皆さんに囲まれてスタートをすることができました。
本当に嬉しいことです。仕事などでその場に来れなかった人からも応援のメッセージをいただき皆さんの応援の力を糧にスタートをしました。
ありがとうございます。
◯初日から困難を極めた日本一周
皆さんの応援を背にスタートをしました。
また当日は一緒に走ってもらえるランナーさん(通称ラン仲)を募っていましたのでみんなで楽しく話しながら進んでいきました。途中で合流したラン仲さんもいました。
ところが、スタート初日ということもあり荷物の重さがかなり堪えてスピードが全然出ず一緒に走ってもらえる周りのラン仲さんは早歩きでついて来れる程度のスピードでした。
スタート時の荷物の重さは約17キロありました。なるべく軽くしようと思い荷物を少なくしていたつもりでしたが初めてのことなので不安もあり、準備万端で色々と荷物を入れてしまっていたのです。
東京の皇居から30km程先の横浜まで長い長いランとなりました。横浜から応援に駆けつけてくださったKさんが荷物のサポートをしてくださり横浜から戸塚までは身軽に走ることができました。
そしてようやく初日の目的地である戸塚に到着したのでした。
◯泊まる場所の変化
初日から困難を極めた日本一周☆旅ラン。
「果たしてこの状態で本当日本一周なんてできるのだろうか?」
と僕の中での不安が募るばかり。でも、
「スタートしたばかりで弱音など吐いていられない。」
なんて思いながら、荷物の重さと葛藤しながら前に進んだ序盤となりました。
そしてやはりこのままでは日本一周どころか名古屋までたどり着けないと思った僕は静岡県で重さの原因となっているテントや寝袋などの泊まりセットをすべて実家へ送り返しました。
荷物を減らし重さは11~12kg。
荷物を減らした直後の旅ランは背中に羽が生えたように軽い~!と感じました。
その後は安い宿の泊まりを中心に前へと走っていきました。(時には個人宅にお世話になる時もありました。)
だいぶ荷物の重さにも慣れ始め、旅ランの流れも掴めてきた関西あたり。
ですがこのまま宿中心では資金的に厳しいものがあると段々と感じていたので四国を入る時から寝袋(シュラフ)だけを再度待ち始め「野宿+宿」を併用して走っていきました。
四国はお遍路文化が根付いているので野宿をしやすいお遍路小屋や中には無償で泊めさせていただける場所もあり、そういった場所で泊まる機会が増えていきました。その後は野宿の際は公園にある東屋やバス停などで一夜を過ごすことが多かったです。
野宿と宿の併用スタイルが北海道を入る手前の青森県まで続き、そして北海道からはさらにテントを持ちはじめ、「テント泊+野宿+宿」の併用というスタイルへと変化していきました。
北海道を入る際には旅人などからの事前情報を聞いていると、
人はもちろんお店や自販機すらない道が果てしなく続く場所や牧場地帯が永遠と広がる区間がある。
という話を聞いていたので、色々とアドバイスを聞き、テントを持った方が宿泊の際に幅が広がるということで重さの負担にはなってしまうもののテントを持ちはじめました。
テントを持ち始めて負担にはなってしまったものの、その快適さや安さに味をしめテントで寝る機会が増えていきました。そしてそのテントを持った形態でゴールまで走りました。
そういった宿泊形態だけでもどんどん変化していきました。
◯果てしなく続く道。不安で孤独な424日間
荷物の重さも最初の試練としてありましたがスタートして最初の難関となったのが箱根峠でした。箱根駅伝でも有名な山のぼりの5区とほぼ同じ道を登りました。それも台風が近づいてきており、どしゃ降りの雨の中を。
その夜は宿をとって台風が再接近する翌日に備えました。
翌日の夜中~翌朝にかけては暴風雨で動くことができず、午前中は宿の方にお願いして滞在させていただけることになりました。そして午後から台風が過ぎ去ったところで走りはじめました。
その他にも雨の中走り続けたこともあったし、風が強い日も負けずに走りました。残暑の残る9~10月の暑い日も走り続けました。
季節は移ろい、冬にかけて南下はするものの場所によっては寒い時は0度近くまで冷える時期もあります。
正月の2016年1月1日には鹿児島県の最南端である佐田岬手前の肝付町というところで暗くなってしまったので寝る場所を探していました。
やっとのことで見つけたのが廃墟のような家でした。(結局そこは気味が悪いので少し行った先にあった屋根付きのバス停で野宿をしました。)
沖縄では「ハブ大丈夫かな~?」と思いながらの野宿のときもあったし、真反対の北海道では「熊大丈夫かな~?」と思いながら夜を過ごした日もありました。
北海道では熊に遭遇しませんでしたが青森県恐山付近で熊がものすごいスピードで僕の目の前を(熊との距離が5mもなかった)真横に逃げいくのも目の当たりにしました。汗
広大な北海道では町と町の間が離れている場所も多く人家やお店、自販機すらない区間が30km以上続くなんて場所もありました。
その他にも車にひかれないように脅えながら走った新潟県親不知など色々なことがありました。
また、スタートをきったのはいいものの果てしなく続く
道、、、道、、、道、、、。
先のことを考えてると
「いつ終わるのだろうか?本当に終わるのだろうか?」
と不安で孤独の中永遠と走り続けた日もありました。
日本は広い。改めて実感した僕でした。
◯やりたいことの中にもやりたくないことはある
自分のやりたいこと・好きなことは何かと考えてたどり着いたのが「日本一周☆旅ラン」でした。
でも時には辛いときもあるし、
「なんでこんなことはじめてしまったんだろう。今日はもう走りたくない。」
と思う瞬間があります。
おそらく皆さんも人生の中で経験があるのではないでしょうか。
料理好きの人でも洗いものが嫌いだったり、仕事で人と話す営業は好きだけどパソコンで文字を打つのが苦手だったり。フルマラソンにしても、走るのは好きでも30~35kmあたりというのはやはり辛いものです。
そういった辛いこと、しんどいこと、時にはやりたくないことを乗り越えた先に本当のやりたいことが見えてくるのではないでしょうか。
また、自分自身で本当にやりたいことを決めてやろうとしたことであればちょっとやそっとの事では心は折れないはずです。
「本当にやりたいことは何なのか」
を自問自答して本当にやりたいことを見つけるということも大切なことだと思います。
◯辛いときにどうするか
「辛いとき、苦しいときにどうするのか」
誰しもが辛いとき、苦しいときというのはあります。今回の日本一周☆旅ランでそういった場面に遭遇したときに心がけていたのは、
「今を楽しむ」
ということです。
その場にある些細なことにフォーカスして楽しんだり、小さな幸せを探す努力をしてみたり、今この瞬間にこの地を走れていること、やりたいことをやれていることに感謝して一日一日を楽しんでいました。
「いやいや、でも今辛いんですよ!」
という意見もあると思います。そう言うときに今を楽しめ!と言っても難しいと思います。(僕もそうです。)
そんな時は、この今のしんどい時を乗り越えた先に新しい自分が待っているという風に考えます。
また自分を奮い立たせる歌を唄う、聴くというのも一つの方法でした。
そうすることで、あともう一歩、もう二歩と進むことができたのです。
◯自然との出会い
今回の日本一周☆旅ランでは海岸線を中心に走って、時に内陸県へ入り47都道府県を走りました。
その総距離は約12,000km。地球一周が40,000kmなので地球の4分の1は走ったことになります。
それだけ日本は広く長いということを実感しました。
これだけ四季を感じながら走ることができるのはまさに日本ならではの醍醐味なんだと思います。
沖縄から北海道まで変化に富んだ自然をたくさん感じて走ることができました。
日本各地の素晴らしい絶景。(たくさんあり過ぎてあげられない)
沖縄の真っ青な青空とサトウキビ畑。
癒される日本の田園風景。
山陰地方の青く澄んだ海。
富士山をはじめ日本の雄大な山々。
阿蘇で見た雲に浮かぶ山(雲海)。
北海道のオホーツク海での真っ赤に燃える夕日や朝日。
そんな素晴らしい自然を贅沢なほど見ることができました。日本って素晴らしいと思える機会を自然が創ってくれました。
◯生き物との出会い
また、たくさんの動物たちとの出会いもありました。
犬、猫をはじめ、馬、猪、猿、鳥、羊、牛、鹿、リス、キツネなどの動物たちに出会いました。
特にわんちゃんにはよく道沿いで会って「ワン!ワン!ワン!」と吠えられる機会が多々ありました。
僕はこれを勝手に声援を送ってくらているものと解釈し、「サンキュー ベーリーマッチ」「ハロー!グッパイ!」などとわんちゃんとの会話を楽しんでいました。
また、青森ではできるなら出会いたくない動物にも遭遇しました。
そう、熊です。
前文にも書きましたが、歌いながら走っている僕の目の前5メートルもない距離を真横に2頭の黒い物体が横切って逃げていったのです。
何ごともなく本当に良かったです。
◯ラン仲(ランナー仲間)との出会い
日本一周☆旅ランの1つのテーマである「走」。
47都道府県のランナー仲間、通称ラン仲をつくりたいというものです。
結果としては47都道府県すべてでラン仲をつくることはできなかったものの、たくさんのラン仲さんと日本一周を共有することができました。
今回の日本一周☆旅ランが完走できたのも、そして楽しんで前に進むことができたのもラン仲さんのおかげです。
◯出会いと別れを繰り返す
一緒に走っていただけるラン仲さんの存在がある一方でその他の出会いも全国各地でたくさんありました。
車越しで応援してくれる人。
道端で話しかけてくれて応援してくれる人。
飲み物、あめ、食べ物など差し入れをいただける人。
ときには、支援金をいただける人。
僕の30歳の誕生日を祝ってくれた人。
ご自宅に泊めさせていただけた人。
結婚式に急遽参加させていただけた人。
風邪を引いた僕をこころよく自宅で休養させていただけた人。
復興で自分たちの生活で大変にもかかわらずお世話になった人。
など数えきれない人と出会い、良くしていただきました。応援していただきました。
本当に、旅人は基本的にお世話になる一方で感謝しても感謝しきれません。
そして、出会いには別れがセットで付いてきます。
一期一会を噛みしめて前へと進んでいく。これが旅人の宿命でもあります。
また、今回の旅中にも多くの旅人との出会いもありました。
今度僕が逆の立場になったとき、次の旅人に優しくしよう。恩を返していこうと素直に今思います。
◯日本の魅力と旅ランの魅力は無限大
日本一周をして12,000kmを走った僕ですが正直なところ知らない日本がまだまだ山ほどあります。
海岸線を中心に走っていたので内陸部にはほとんど行っていません。また今回の移動し続けるがゆえに同じ場所に留まるということはあってもせいぜい2~3日です。
その為、その場所、まちを深く知るには到底時間が足りないです。そういう行っていない場所もまだまだたくさんありますし、今回訪れた場所にももっともっとたくさんの良いところ、魅力があると思います。
そして、僕のまだ知らない魅力いっぱいで溢れている日本を知るために最適なのが「旅ラン」であると僕は思います。
「走るということ」は、自分のからだ、2本の足で地に足ついて進む最速の手段です。歩くより移動距離が延びるのでより遠く遠くに進んでいくことができます。より多くの地に行くことができるのです。
そして時には立ち止まり何気ない景色や野に咲く花や自然を楽しむ。地元の人との交流を楽しむ。そういった走る途中の楽しみも旅ランの楽しみです。
でも、
「遠くへ遠くへ行くのなら自転車の方が自分の力でより遠くへ行けるじゃん」
と思われる方もいると思います。僕もそれは否定しませんし、自転車が人気となっている理由でもあるでしょう。
ですが自転車は一度乗ってしまうと立ち止まるのが億劫になりやすいという面があります。
僕もトライアスロンをやっているのでロードバイクを乗るのですが思った以上にスピードが出るのであっという間に過ぎてしまったという場面や、立ち止まり一旦自転車を降りるという動作が手間だったりということが多々あります。
そういった面からも「旅ラン」は日本の魅力を知るのに最適な手段だと実感しています。
◯自分の可能性は無限大
「自分の足だけで日本一周を走る。」
これを聞いた時どう思うでしょうか?
「うそでしょ。」「走る?自転車で?バイクで?」「頭がおかしいんじゃないか。」
と言った言葉が聞こえてきそうです。
実際に日本一周を走っていて出会った人にはよく「自転車ですか?」と聞かれました。
そもそもその人の中に「自分の足で日本一周を走る」という概念がないのでしょう。
でも僕も今回の挑戦を始める時に本当に日本一周を走れるかなんてわかりませんでしたし、不安だらけでした。
でも、
「やってみないとわからない」
「みんなと同じことをやったって面白くない」
とも思っていました。
結果論ではありますが、424日間、12,229kmを約11~13kgの荷物を背負って走りきることができました。
「自分自身で本当にやりたいことは何かを考え抜き、そのやろうと決めたことを心に強く思い描いたものは実現する。」
「夢は叶う。」
ということを日本一周☆旅ランを通して僕は実感することができましたし、自信を持つことができました。
人は自分が思っている以上に可能性に満ちているものなのです。
今回の経験を活かして次のステップでも自分の可能性を信じていきます。
◯やりたいことはやるべきだ
世界にはやりたいことをやりたくてもその日一日を生きていくのでやっとの人たちがたくさんいます。
日本だけで見ても経済格差が言われていますし、2016年4月に発生した熊本地震や3.11東日本大震災など今も復旧・復興でその日を暮らしていくので精一杯という人達がいるのも事実です。
僕も熊本地震の震災前に被害があった場所を走っていたし、震災後少しばかりではありますが災害ボランティアへと行き、現地の悲惨な状況を目の当たりにしました。
また、今年の台風で甚大な水害を受けた岩手県の久慈市でも水害ボランティアを少しだけ手伝わせていただきました。
3.11の被災地である青森、岩手、宮城、福島の東北沿岸部を走り(福島は原発被害のため一部内陸部を走った)5年半年以上経った今なお復興がなかなか進んでいない状況も見てきました。
その人たちからすると、
「やりたいことをやるというのはとても贅沢なことだしバカ言ってんじゃないよ!」
と思われても仕方ないことです。
ですが、東北沿岸を走っている時に応援の声をかけてくださったり、食べ物を頂けたり、泊まる場所を提供してくださったりと自分の大変な状況を顧みず応援していただく機会がたくさんありました。
やりたいことをやるということは、ある意味贅沢でわがままなことだし、時に風当たりが強く、大変で心に葛藤が生じることもあります。
そんな迷いや不安、孤独と向きあいながらも自分のやりたいことを貫き通す。
そうすることで自分が走り続けることが間接的にでも周りに勇気や元気を届けることができて、私も頑張ろうと思ってくれたら嬉しいなあと想いながら東北沿岸部を走っていました。
僕は途中から「一歩一歩前へ 熊本&東北!」というメッセージを背中のリュックに貼って走っていました。
勘違いしてもらいたくないのは、僕は「東北の人たちの為に走る!」「熊本の人たちの為に走る!」と言っているわけではありません。
あくまでも「自分の為に走っています」。
ボランティアも自分がやりたいからボランティアに参加しました。
世の為人の為と言いますが、根幹にあるのはやはり「自分の為」だと僕は思います。
自分をないがしろにして、世の為人の為なんて言っている人はむしろ気持ち悪いと思います。
自分を幸せにできないのに他人を幸せにできるのか。
自分が満たされていないのに相手を満たすことができるのか。
やはり自分という「個」が満たされて周りを幸せにすることができると僕は思います。
なので
「やりたいことはやったほうがいい!」
僕は胸を張ってこの言葉を言いたいと思います。
◯やれるかどうかなんてわからない。You やっちゃえば!
「やりたいことをやろう!」と思っていざ考えて計画や構想を立てたとして、所詮は「絵に描いた餅」です。
実際にできるかどうかなんてわかりません。
できるかどうかわからないものを悩んでいたっていつまでたってもわからないまま時間だけが過ぎていきます。
そんな時は「やれるかどうか」ではなく「やりたいかやりたくないか」で判断をするように心がけています。
もちろんある程度の概算や計画も大切ですが最終的な判断は、
「自分の心がどう感じているのか、本当にやりたいと感じているのか」
を大切にするべきです。
なので、
「You やっちゃいましょう!!(笑)」
◯心に強く思い描いたものは実現する
自分自身で本当にやりたいことは何かを考え抜き、決めたこと。いわゆる決断したものは実現します。
日本一周☆旅ランをやろうと決断し結果として424日間、12,229kmを約11~13kgの荷物を背負って走りきることができました。
自分の中で心に強く思い描いたものは実現する。
夢は叶うんだ。
ということを日本一周☆旅ランを通して僕は実感することができました。
心に強く思い描いたものは実現する。
この実体験が少しでも皆さんに伝わっていたら嬉しいなと思います。
◯ゴールラインはスタートライン
2016年11月1日(いっちーの日)に東京駅前にてゴールを迎えることができました。
ランナー仲間の皆さんにゴールテープを張っていただき手前味噌ですが栄光のゴールをきることができました。
ゴールを迎えた達成感や充実感を味わいながらも、心は次の道へと向いている自分がいました。
ゴールのあいさつで
「先ほどゴールをしましたが僕自身ゴールだと思っていません。むしろスタートラインに立ったばかりだと思っています。」
と発言しました。
僕自身本当にこれからだ!という想いの表れだと思いますし、これからの決意表明でもあります。
何かが終われば、また新しい何かがはじまる。
いっちー(一ノ枝亮輔)はまだまだスタートラインを切ったばかりです。
どうぞこれからもよろしくお願いします。
◯この世界は夢であふれている
「あなたの夢は何ですか?」
いきなりこの質問をされてすんなりと「僕の夢は、私の夢は◯◯です。」
と答えられる大人はもしかしたら少数派かもしれません。僕もその一人でした。
「夢」って聞くとなんかでっかくって、巨大な野望だったり、非現実的みたいなのを思い描くかもしれないけど「本来の夢」って、もっと身近にあっていいと思うんです。
「夢は見るものじゃなくて、夢の中にいることが大切」
今回僕は日本一周☆旅ランという夢の中にいることができました。そしてその夢を通して次のやりたいこと(夢)がたくさんできました。
この世界は夢だらけ。
「もし、あなたが何の制限もない状態で何かをできるとしたら何がしたいですか?」
この質問の先にあなたの夢が眠っているかもしれません。
◯限りある時のなかで
人生は有限です。当たり前ですが、人は生まれてから必ず死を迎えます。
その死をいつ迎えるのか。それは誰にもわかりませんし神のみぞ知る領域です。
その有限の人生の中で後悔しないように1日1日を大切に生きることが人生をより豊かにしていく秘訣だと思います。
授かった命を全うする為に、「今を全力で生きる」ことをこれからも心に刻んでいきます。
◯僕の思い描く理想像
僕の思い描く理想像は
「常に新しいことに挑戦している自分でいたい。」「常に成長していたい。」
ということです。そして、周りのみんなから
「あなたに出会えて本当に良かった。」
と言ってもらえれる人になることです。
そんな理想の自分になれるようにこれからも人生の道を走っていきます!!
◯あなたの人生はあなたしか決められない
当たり前のことですがあなたの人生はあなたのものです。誰かが決めるものではありません。
もしかしたら、周りの環境や、親、家族、恋人、友人などの影響というのはあると思いますが、最終的にはそういった影響を加味して自分自身が選択をして自分自身が決めます。
僕は日本一周を始める前に鉄道会社の運転士として安定した収入を得て生活をしていましたが、その安定を捨てて自分のやりたいことをはじめました。
日本一周を走ると親に言った時はもちろん反対されましたが最終的には押し通しました。笑
もし日本一周中に資金が尽きてしまったらその場でアルバイトを探して資金を貯めてまたリスタートすればいい。とも考えていました。
そう、あなたの人生の船長はあなた自身です。
◯きっと大丈夫
日本一周を走るということが、どれくらいすごいことなのか。僕にはわからないしそんなものはどうでもいいです。
僕はトップアスリートでもないし、ずば抜けて頭がいいわけでもないし、突出した才能を持っているわけでもない。
小学校~高校までバスケ部に入っていましたが強豪校でもなく平凡な公立校でやっていました。大学時代は山岳部で南アルプスや富士山、北アルプスなどの一部の山を登っていましたが、がっつりと山に引きこもって縦走はほとんどしていなかったですし雪山もしていません。
そんな僕みたいな特にずば抜けて才能や能力がない人でも日本一周を走ることができました。
こんな僕でも夢を叶えることができたんだから、あなたも夢を叶えることができますよ。
「きっと大丈夫!夢は叶う!!」
◯さいごに
長文を最後までお読みいただきありがとうございます。
この文は424日間の日本一周☆旅ランの集大成だと思って書かせていただきました。慣れない文章でお見苦しい点も多々あると思いますがご容赦いただければと思います。
そして、今回の日本一周☆旅ランでお世話になった皆さま。応援して下さった皆さまに心より御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました!!!
山口の実家よりFacebookを通して毎日見守ってくれ、また靴や服などの荷物を送り受けとってくれた僕の父と母にも感謝したいと思います。
改めまして最後に今回の日本一周☆旅ランに関わってくださった全ての皆さま、
本当にありがとうございました。
旅ランナー いっちー 2016.11.14
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