こんにちは、日本一周を走った旅ランナーいっちーです。
「もっと自由に行きたい場所に行って好きなことをしたい~」
「一度きりの人生。もっと自分の好きなこと、やりたいことをやりたい」
と思ったことはないでしょうか。
僕、旅ランナーいっちーも一念発起して、2015年9月から2016年11月まで日本一周を走っていました。
そして、僕が日本一周をスタートする約1年半前に、走って日本一周をした人がいたのはご存知でしょうか。
彼は、2014年4月から2015年10月までの約1年6ヶ月の間、日本を走り続けました。その男の名は『前田将克(まえだ まさかつ)』です。
兵庫県西宮市出身の彼はなんと!若干19歳の時に日本一周を思い立ち、走り出しました。今回はその前田くんに会う機会を設けてもらいました。
日本一周中の話や、終わってから今までどうしてたのか?これからどうしようとしているのか?などなど色々と聞いてきましたよ〜。日本一周を走った男が何を感じ、何を考え、どう行動しているか。必見です!
目次
前田将克の日本一周概要
期間:2014年4月15日〜2015年10月6日
総走行距離:9,463 km
日本一周のルート
兵庫県西宮スタート⇒和歌山(ケガのため1ヶ月帰省)⇒名古屋⇒東京⇒いわき⇒南相馬⇒大間⇒函館⇒襟裳岬⇒帯広 ⇒根室⇒宗谷岬(日本最北端 9月20日頃)⇒札幌⇒小樽⇒江差⇒函館⇒青森⇒新潟(12月 越後湯沢にて3ヶ月滞在)⇒富山⇒白川郷⇒金沢⇒滋賀県米原⇒京都⇒兵庫県豊岡⇒鳥取⇒福岡 ⇒佐賀⇒長崎⇒雲仙⇒熊本⇒鹿児島⇒種子島⇒屋久島⇒沖縄本島⇒石垣島⇒波照間島(日本最南端)⇒与那国(日本最西端)⇒鹿児島⇒桜島⇒佐田岬(本州最南端)⇒宮崎⇒延岡⇒高千穂⇒阿蘇⇒大分⇒福岡⇒広島飛島⇒しまなみ海道⇒尾道⇒兵庫県西宮ゴール
*四国は日本一周前に1ヶ月程かけて一周した
日本一周対談
日本一周を走りはじめたきっかけは「競い合う以外の楽しみ」を見つけるため
今まではタイムだったり、ライバル達に勝ったり負けたり、速くなったりする事に喜び、楽しさを感じていましたが、それ以外の楽しさに気付き、
「もっと多くの景色を走りながら見てみたい!」
「もっと沢山の人に会って、多くの人の価値観に触れたい」
と思い始めたのがきっかけです。
日本一周を走って自分の好きを再認識。日本の魅力を知ることができた
また、自分は走るのが本当に好きというのを改めて感じれました。「好き好き」と口だけで言うのではなくやってみて、1年半も走り続けることができました。 時には「走りたくないなあ」と思うこともあったんですけど、こうやって継続して1年半できたのは改めて好きだったんだなというのを再認識できた。 あと、一番は「日本っていいところだなあ」と感じた。それを「まだまだPRできていないところもあるなあ」と。 都会は同じような景色になってしまっていて、昔からある田舎の良さとか普段の生活では味わうことができなかったから貴重な経験だったと思います。
インドネシア人と沖縄で一緒に働く
沖縄に行った時に、農家の人に声をかけられて、2週間程インドネシア人の人と一緒に働いたことがありました。インドネシア人の片言の日本語を聞いて僕も同じように片言で喋っていたようで、ある時に友人と電話をしていた時に「お前日本語下手になったなあ」と言われてしまったほどでした。笑 また、2週間いるとその町をより知ることができて、その町のことを他の人に伝えることができるくらいになってたりします。ずーっと移動し続ける日本一周とはまた違って、滞在することも楽しむことができましたね。
<沖縄県 インドネシア人の仲間たちと。左から2人目が前田くん>
色々な人が触れられるのがツイッターだと思うので。あとは、感情などの短い文で書くことができない場合はフェイスブックで更新していました。 あと、個人レベルでは日記を毎日書いていました。大学ノート5〜6冊になりました。それは今でも家にとってあります。
ゴールするときに感じるものとは
でも残りの3キロくらいの場所は毎日何百回と走っていた道で、そこを走った時にはなんというか、今までが非日常だったのが急に日常に変わるという寂しさがあった。 家に着いて両親と友達が迎えてくれた時、やってやった感というよりもなんだろう、、、明日も走るんじゃないかと思っていましたね。 明日は走らないという感覚になれなかった。頭の中では走り続けていた。ただの今日のゴールという感覚だったんです。 その日は友人とすぐに飲みに行って普通に友達としゃべっていたので、一人でいる時がほとんどありませんでした。 家に帰ってきて、1日あいて朝起きた時に、自分の部屋にいた時に「本当に終わったんだな」と感じた。そこで一番感じたのは感謝の気持ちです。 両親に対してであったり、お世話になった人にほんまに感謝して、、いろんな人に助けられてゴールできたんだなあと感じました。 「本当に色々あったんだなあと。」何度もやめようと思ったわけじゃないけど、すごい辛かった時、誰も見ていないなかコツコツと進んだ時もありました。 「やってよかった、間違っていなかったんだな〜」と思ったし、後悔はしなかったですね。
<宗谷岬にて相棒のバギーと>
それが9日目で足がボコッと大きく腫れてしまって歩けない、立てなくなってしまいました。僕は陸上をしていたので、怪我や痛みなんかもある程度わかっていたんですが、今までに感じたことのない痛みでした。 そこで3泊したのですが痛みが治まらず、近くの整骨院で診てもらったんですが「もしかしたら折れてるかもしれないね。この腫れは最低でも3〜4週間はかかるよ。」 と言われてしまい、家に帰らざるをえなくなってしまいました。みんなに行ってくる!と言って見送ってもらってまさか9日目で、、、悔しくて認められない自分がいました。 その時19歳だったんですがそこではじめて、自分の足りないものというか、挫折を感じました。家で1ヶ月療養して再度新宮から日本一周を再開しました。 ケガの時に『高繁勝彦*』さんとメールでやり取りをさせていただいてバギーの存在を知りました。そして名古屋でバギーを購入して、しばらくはバギーで走りました。 北海道も周って、日本海側を南下している新潟あたりでバギーの調子がかなり悪化して厳しい状況になってしまいました。 親に連絡を取って知り合いの鉄鋼屋さんにタイヤの軸を作ってくれないかと頼んでくれました。 並行して僕には内緒で母がバギーメーカーの代理店に問い合わせてくれました。「今このパーツを持っているのは日本では高繁さんだけですね。」という話になり、高繁さんに代理店の方が連絡をとってくれました。 その縁で高繁さんが、「僕のバギー今使ってないのでぜひ前田くんに車輪を使ってください。」と言っていただけて、2つの車輪を送っていただけたんです。 そして、そこからまた新たな車輪でずっと走り続けていたんですが、鹿児島の薩摩川内でとうとう車軸が折れてしまい、その時に「試されているんかなあ」と思って、バックで走る決意をしました。 そこから約1,200キロはバックでゴールまで行きました。ですので僕の場合はバックとバギーの両方を実感しましたので、どっちの良さもあって、また大変さもわかります。
*バギー:乳母車を改造したスポーツ 用にカスタマイズされた三輪車。バギーに荷物を入れて押して走る
<相棒のバギーと>
日本一周から見えてくる日常を楽しむということ
自然、夕日、そこにあるものに対して、時間の余裕ができたので、今までは紅葉を気にしていなかったのが「色づいてきたなあ」と思ったり、自然を楽しむことができるようになりました。 あとは、僕は空気を吸うのが好きで、ひんやりした空気を吸うのが楽しいんです。季節によっても匂いが違う。梅雨は特有の地面から上がってくる匂い、秋は秋なりの空気感があります。 あるものに対して何かを感じようとする姿勢がめっちゃ変わりましたね。 匂いで刺激される部分て覚えているんです。テントに入る時の特有の匂いや実家のある島根を通ったときの最寄のスーパーに入ったときのあの匂いは、「これこれ!この匂い!」と忘れてなかったですね。
日本一周は「走り幅跳び」
ゴールでありスタートである。日本一周の旅は助走で次なるジャンプ台、ステップアップのため。 終わってからは自分の新たな挑戦が始まっているので、日本一周は助走にすぎなくて、これからいつジャンプするかわからないけれど、高く、遠くに飛びたいです。
日本一周がつなげるストーリー
バイクで旅をしている人が何万キロを走ったそうですが、旅をはじめた頃にそこの小学生が「お兄ちゃん、これお守りであげる。事故しないでね。」ってもらったもの。 バイク旅を通じてこのお守りをずっとつけていたが無事故だったそうなんです。 そのバイク乗りの人が「小学生に渡されてから何万キロも走ったが僕は一度も事故をしていない、君も先は長いから事故とかないようにこのお守りをあげる。」 って言われてもらったものです。やっぱり旅って生きて帰ってこないと意味がないじゃないですか! ということでいっちーさんにプレゼントしました。いや〜すごいその時を思い出しました。
日本一周を走った男がおすすめする!もう一度走りたい絶景3選
もう一つは、北海道の「オロロンライン」です。あそこは、景色が綺麗というか何かが良かったというわけではないんです。 あそこが他と違うところは横にガードレールも無ければ看板も電柱もないので、、日本じゃないと思いました。 その人工物のない場所が10キロ、20キロじゃなくフルマラソンの距離以上あったので、今度は冬の雪が積もった真っ白な状態のオロロンラインを走ってみたいです。 あともう一つは、色々あってあげれないのでその2つですね。
<熊本県南阿蘇にて>
<北海道 オロロンラインにて>
辛いとき、苦しいときは笑顔。走ることから人生のヒントが見えてくる
声に出して「むちゃくちゃ楽しいわ〜」と言って笑ってしまう。これはオレに与えられたラスボスだ!くらいに思っています。 なので受け入れるというか、常にプラスにプラスの方へ考えるようにしています。 すると、「苦しい」や「辛い」と思っていた事が何だか「楽しい」と思えたり、「どうしたら楽しめるか」と考えれる様になりました。 普段の生活でも活きてきています。
あとは、余裕を持って走る、楽しく走ることがモットーです。走るのが「疲れてやだなあ」となったら絶対歩きます。 しばらく歩いているとまた走りたくなるので。 無理やり走ると走ることがしんどくなるのでそれは徹底しています。なるべく気持ちに負担をかけない。ストレスをかけない。 やらされてる感は取り払った方が長い距離を走れますね。
気持ちの延長線上に速く走るということはあります。
それは、靴のムレです。終わったら、なるべくサンダルをはいていました。 なんでかというと、豆や水ぶくれができるとかなり気になるじゃないですか。なので豆や水ぶくれができないためにすぐに目的地に着くと靴を脱いで足を乾燥させていました。 そのケアは徹底していました。休憩の時もすぐに靴を脱いでいましたね。
<沖縄県本島にて>
ソールの踏んだ感じのクッション性が柔らかくていい感じで、ニューバランスやミズノ、アシックスとはまた違うクッション性で、全然違うんです。 僕はそれがしっくりきてアディダスのブーストを使っています。ただ、靴底のスレがソールの部分が薄いので競技者志向になっているので強度が劣るのがデメリットですね。
食べたい時には徹底的に食べてましたね。例えば、中津の唐揚げは8つハシゴしたり、長浜(博多)ラーメンは4件いきました。笑 栄養面では、サプリメントでビタミン剤、鉄分を定期的に取って体のバランスを保っていました。あとは、生野菜を食べるように意識していましたね。 北海道では毎日人参を毎日生で食べていましたよ。あと、季節の果物も食べるようにしていました。
<広島県尾道市にて>
日本一周を終えた男が思い描く未来とは
今は会社でビジネススキル、マナー、プレゼン能力を身につける一方で、マラソンの企画をしているSさんのお手伝いをさせてもらっています。 最終的には自分もたくさんの方に日本の地方の良さとマラソンをかけ合わせて、走るきっかけを提供できたらなあと思っています。
<岡山県県境にて>
夢は、走るきっかけを通して笑顔をつくること。世界も視野に
僕は人と笑い会えるのが好きなので、そういう笑いを少しでも作っていきたい。その人が笑える場所、きっかけをつくりたい。 その一部に、マラソンで走るきっかけ作りがある。楽しさを伝える、その先に笑顔になってもらえたらなあと思っています。 また、場を作る表現者だけでなく僕自身も世界を一度走ってみたい。アフリカの大地や砂漠なんかを走りたいです。あとは一度はユーラシア大陸くらいは走りたいですね。あとチームで砂漠マラソンを走りたいです。
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございました。いかがだったでしょうか?
日本一周中のエピソードや、僕にはなかった走るときの新しい視点、前田くんのこれからのことなどなど、インタビューをしていた僕もとても楽しく話を聴かせてもらえました。
日本一周を走ることは大多数の人には非現実的なことだと思います。ただ、その非現実的・非日常のなかからあなたの日常に活かせるヒントがつまってるのではないかと思います。
これからの前田くんの動向にも目が離せないですね。
プロフィール
前田将克(22歳)
兵庫県西宮市出身 西宮在住
五人兄弟の末っ子
twitter: @mskt067