日本三霊山(白山・富士山・立山)を巡る『三禅定』を達成した中田広幸さんにインタビューしてみた

2015年の夏に日本三霊山を巡る「三禅定(さんぜんじょう)」の山旅(巡礼旅)にチャレンジし見事達成された『中田広幸』さん。今回三禅定についてインタビューする機会をいただきました。期間は2ヶ月半、総距離は1000kmを越える壮大な旅になりました。その時のお話をお聴きできましたので、山、旅好きの方は必見です!ぜひご覧ください。

 

◯三禅定(さんぜんじょう)とは

かつて山は死者の霊魂が赴く他界と認識され、霊山と呼ばれていました。その中でも白山、立山、富士山を日本三霊山と呼んでいます。

 

「三禅定」とは、日本三霊山である白山・立山・富士山を登拝・巡礼する信仰習俗のことをいい、昔の山伏・修験者らが修行として行なっていました。

 

江戸時代には、霊山の信仰は民衆へと届けられ定着していき、三禅定の巡礼へ赴く人々が出てきました。ちなみに、三禅定は一度にまとめて三山を巡ることが慣わしだったそうなので、夏場の1~2ヶ月をかけて巡っていました。

 

◯中田さん三禅定の軌跡データ

期間:平成27年7月11日(土)〜9月26日(土)

日数:78日間(77泊中54泊野営・野宿、16泊ホテル山荘、7泊避難小屋)

距離:1138km

所要時間:712時間(1日平均9.1時間)

出費:295,877円(1日平均 3,793円)

訪れた都道府県:富山、岐阜、石川、福井、長野、山梨、静岡、東京、埼玉

 

ーー今日は機会をいただきありがとうございます。早速なのですが、中田さんの三禅定の取り組みやアレコレをお聴きできたらと思うのですが、まず中田さんの生い立ちについてお伺いします。小さい頃はどんな子供でしたか?何が好きでよく遊んでいましたか?

小学校4〜5年までは自然の中で虫をとったり、家の近くに神社や用水でどじょうやフナ、ナマズなどたくさんの虫を捕まえていました。小学校5年の時にファミコンが出てからはゲームに夢中になって外であまり遊ばなくなりましたね。中高年の時もゲームが中心で友達と遊んでいました。

 

ーー学生の時、部活動はされていましたか?

中学はハンドボール部でしたが、ほとんどしていなかったので帰宅部のようなものですね。

 

◯三禅定のきっかけは職場の人とはじめて登った人形山

中田さん。富山県富山市の喫茶店にて

 

ーー登山をはじめたきっかけはいつからですか。

36歳頃の時に会社の人に誘われて、富山県の人形山に初めて登った時が初めてでした。面白かったのでその後大日岳(富山)で山小屋泊をしたらもっと面白かった。その後すぐに1人用テントを購入して1人で色々な山に行くことになっていきました。

ーー三禅定をやろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

2009年に初登山をして、翌年から本格的に登り始めて、2010年から2012年が一番集中的に登山をしていました。長いのだと「称名滝〜槍ヶ岳〜称名滝」を7日、8日間かけて縦走をしたりもしました。年に1回はこういった長期の縦走をするようになっていきました。2012年は2週間ほどかけて南アルプスを縦走しましたね。長期の縦走は面白かったです。三禅定の1年前には日光周辺でも縦走をして、これはかなりハードスケジュールな山行でした。

一方で2010年の立山博物館で三禅定について行う企画展がありました。そこで写真提供をしたのですが、それがなければ三禅定についても知ることもなかっただろうし、やっていなかったと思います。2013年には三禅定をすることを決めて、2〜3年間は準備期間になりました。準備期間でも『高志の国文学館』で三禅定の企画展が行われて写真提供をしたりして「やっぱり縁があるなあ」と感じました。

 

◯装備と計画について

禅定中に携行していた計画シート

 

ーー装備についてですが、何キロくらいの重さだったのでしょうか。

荷物の重さは最低重量が25kg程でした。これは水、食料をのぞいた重さですね。

ーーそうすると重い時には30kgを超えていたかもしれないですね?

そうですね。このくらいの重さになると私の体力では荷物を担いで歩けるのが1時間が限界でした。その都度荷物を下ろして休憩して、また歩いてというかたちでやっていましたね。食べ物に関しては、米などの全ての食料を持っていくスタイルでやっていました。

ーー着替えの服はどのくらい持たれていたのですか。

衣服は3セットで、絶対に濡らさない服が1枚、羽織るもの1枚。縦走した時にべちゃべちゃになって濡れて寝れなくなった時があったのでその経験があり絶対に濡らさない服を1着もつことを意識しました。

ーーテントはどういったものですか。

アライのテントで1kgくらいの軽量のものです。

ーー靴については何足履かれましたか。

1足です。最初は平地用の靴も最初は持っていましたが重かったので実家に送りました。あと休息用のサンダルは1足持ってました。

ーー体重に関してはどのくらい増減されましたか。

スタート時は63キロでしたが、ゴール後は50キロまで減りました。体重に関しては、そんなに気にするタイプではないので気にならなかったです。普段の仕事でもそんなに食べたり飲んだりする量は少ない方で、食事よりも展望や山での花が大好きなので、そういったものが見れると疲れも吹っ飛びます。三禅定をすると決めてからは食べることに関して意識はしていましたが、元々飲食の量は少ない方だったと思います。

ーー体は強かったですか。

強い方だと思います。年に1回風邪を引くか引かないかくらいで、基本引かないです。

ーー好きな食べ物はありますか。

卵は好きです。魚は焼いて食べる、肉は牛肉。脂身部分がダメになってしまった。基本的にはなんでも食べます。

ーー小さな目標設定を4つ設けられていたとのことですが、「野営50泊以上、出費30万円以下(1日4000円以下)、百名山30座登拝」の基準となるものはありましたか。

ルート設定して、大体百名山は30座くらいになるなあと、出費に関しては全て野宿はきついので山小屋等の宿泊も加味した金額で算出していきました。

食料はソイジョイ、カップ麺、スパゲッティ、が基本で、

キャンプ代は500〜1000円程度、

小さな目標なので、そこまで意識せずやっていました。

 

◯ルートについて

剣ヶ峰と御前峰(白山)

 

ーー実施したルートはどうやって決めましたか。

まず3山のうち立山を最後にしようと決めました。それは、立山が一番思い入れが強いので、最後に登りたかったというのが一つと、雪があるかどうかも重要なポイントで、行程の期間雪があるのが白山だけにしたかったので、白山、富士山、立山という順番にしました。

細かなルートは、山を繋いでいけるようなルートに設定していって、最初は乗鞍岳、御嶽山を行こうとしたんですが、崩落しているという情報があり直前でルート変更をしました。白山も予定していたルートが通れないと情報を得て急遽変更をしました。

このチャンスで行ける山を行っておかないと一生行けないかもしれないと思った山にも結構行きました。ルートを組むのが一番楽しかったですね。いざ本番となると、本当に道があっているのかなと、不安にもなったりしましたし、計画している時は楽しいですね。

ーー昔の修験者が禅定として山に入る行為と現在の自分たちが山に入る、いわゆる登山の行為とで通じるものがあると思われますか。

基本的には同じだと思います。信仰は修行のイメージですが、例えば「ブロッケン現象」が出たら、修験者の人も感動していたと思いますし、それが見れるのが楽しかったんだと思います。山の世界に行かないと見れない世界です。喜びが多い方がそういう行為をしないのではないか、修行は苦しいだけじゃないと僕は思っています。

ーー昔の人がたどった禅定道は意識しましたか?事前に調べたりしましたか。

しました。白山は完全に意識していて、別山から下りようと思ったのも、禅定道としてその道が使われていたということでそのルートにしました。

立山も、大日岳から称名滝へ下りていくルートだったのですが、そこから八郎坂を登り返して立山禅定道を通って立山駅へと下りていきました。

富士山に関しては、知識がなく、よくわからなかったので特に意識していないです。

話は脱線しますが、自分の仕事が測量関係なので、山の位置関係が興味深く、江戸時代の人たちは立山から富士山が見えることがわかっているのですが、それをどうやって断定していたのかがとても不思議に思っています。「なんでわかるの?って思いません?」そういうのを想像しながら登ってみるのも楽しんでいます。富士山は独立峰なのでわかりやすいですが、剱岳や穂高は角度によって表情がどんどん変わって行く、昔の人はどうやって断定していたのかとても興味深いです。

ーーここからは中田さんが歩かれた三禅定の全行程の中をセクションに区切って、印象的なエピソードや感じたことをお聴きできればと思います。

◯白山禅定(自宅〜郡上八幡)

御前峰(白山)山頂にて

 

ーーこの区間で何か印象に残っていることを教えてください。

スタートから白山を登るところがとても苦しかったです。はじめて登った場所で、登山口を間違えて2時間くらいロスしてしまいました。その日はとても暑く、水をたくさん飲んでいて、荷物が重い影響もあり、行程時間がコースタイムの倍くらいかかっていました。ついに水もなくなってしまい、水場に着いたと思ったらカエルが卵を産みつけるような場所だった、、、その水を煮沸をして飲みました。白山の区間は本当に苦しかったです。その先の木曽駒ヶ岳で友人と会う予定があったので、そこまでは無理して頑張っていました。

 

◯木曽山脈(郡上八幡〜駒ヶ根駅)

三ノ沢岳(木曽山脈)にて。右から中田さん、嘉藤さん、藤井さん、井田さん、岩谷さん

 

この区間は友達と会ってホッとしました。まさか山の上で焼肉を食べることができるとは思っていなかったです。ここまで歩いてこれて良かったと思いました。出発する前から木曽駒ヶ岳で友人と会うことは決まっていたので、その約束がなければだいぶ遅れていたかもしれないです。友達と歩いていたので、キツさも和らぎ、ここら辺からペースも少し落として楽しくなってきました。

 

◯赤石山脈(駒ヶ根駅〜釜額)

鳳凰山地蔵岳(南アルプス)

 

北岳の花がすごかったのを鮮明に覚えています。まさにお花畑でした。仙丈ヶ岳周辺でも咲いていたが、同じ南アルプスなのに北岳は別次元でした。ちょうど時期が良かったのかもしれないですね。

ヒメウスユキソウ

 

北岳(南アルプス)より富士山眺望


◯富士禅定(釜額〜野辺山)

富士山山頂からのご来光

 

三禅定の旅で一番印象に残っているのが富士山でした。富士山は初めて登ったのですが、すごいなと思ったのが、ご来光を見に沢山の人が登山しています。その日はちょうど高い位置に雲がかかっていて富士山の360度の山麓の緑と朝日が反射して上が真緑に光っていた。この光景は富士山でしか見れないと思いました。富士山はやっぱり日本一の山ですね。

 

富士山剣ヶ峰(3776m)にて


◯立山禅定(森口駅〜自宅)

立山雄山にて。右が中田さん、左が友人の井田さん

北アルプスに針ノ木小屋というのがあります。針ノ木小屋のトイレを借りた時に花がきれいでそれに目移りして、ふと財布を置いてしまって忘れてしまいました。その後、平の渡場まで下る途中に気づきましたが、かなり下って来てしまったので、「あれをまた登り返すのは、、」とちゅうちょしていました。

次の日は五色ヶ原に友人が来てくれることになっていました。確か当日の朝に電話をして、2万円を持って来てくれないかとお願いをしました。その出来事がショックだったのか、渡し船を渡り、五色ヶ原まで上がる途中が辛くてへとへとになっていました。五色ヶ原について横から「こんにちは。」と声をかけられたのですが、元気もなく自分に声をかけているのかもわからなかったから素通りをしていたら「こんにちはっていってるだろう!」と言われ良く見るとその友人でした。友達に会って一気に元気が出ましたね。立山まで縦走したのですが、最後は一緒に友人と歩くことができあっという間でした。ちなみに、忘れていった財布は小屋に電話したところ見つかって後日送ってもらえたので良かったです。

立山ではこの一連の出来事が印象的でした。

 

◯ゴール後について中田さんの感じること

ーー立山を下山して自宅へゴールしたあとの気持ちはどうでしたか?

ゴールしたからどうというのは特に何もなかったです。僕の中では特別というわけではなく、僕の中では日常の中の一つだった。他の縦走と同じような感じでした。

立山博物館でボランティアをしてきたこともあり、芦峅寺の人たちや、大日平の山小屋の方など顔馴染みでもあったので、知っている場所と全く知らない場所という意味での違いはあったと思います。ホームに帰ってきてゴールしてほっとしたというのはありますが、何か変わったというのはなかったです。

 

烏帽子岳より立山眺望

 

ーー大きな目標を達成するために心がけていることを教えてください。

このために2〜3年の準備はしてきたので、体力は目標のために上げていきました。ちょうど車が廃車になった時に車に乗るのをやめて自転車生活に変えました。自転車は太ももの筋肉を鍛えるのに効果的です。2013年には富山から鹿児島まで自転車旅もしましたよ。自転車生活は、三禅定を終えて1年後くらいまで続けました。

 

ーー中田さんにとって山に登ることについて教えてください。

僕の中では三禅定までと後で違っています。三禅定前は、百名山を中心に縦走などをしていきました。三禅定後は花の写真を撮るのが楽しくて、花のために山に登ることが多いです。そのために、高機能のカメラも購入しました。花の写真を撮るのが今は楽しいですね。

他にも山の谷や尾根の全てに名前がついていて、とても興味深いし、なんでこんなところまで名前がついたんだと不思議に思います。

 

ーー今の中田さんの目標や夢はありますか?

正直あまりないのですが、、、日本百名山は今のところ87座登っていて全て登りたいという気持ちはしています。一ノ枝さん(筆者)と偶然お会いした裏剱で同行していた方がすごいガイドさんで、田中陽希さんのグレートトラバースに撮影班としても同行していたそうです。百名山は、北海道の山は一つも登っていないし、ヒグマが怖いので、1人で登りに行こうとは思わない。なので、ガイドさんにお願いして北海道の山々を登ってみるというのも良いかなと思っています。北海道は特有の高山植物が多くあるので、その花をたくさん見ながら歩くというのがしてみたいです。強いていうならそれが今の夢ですね。

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走って47都道府県をめぐる旅「日本一周☆旅ラン」を実施&完走(2015-2016)。 サブスリー達成。トライアスロンアイアンマンレース完走。「走る」を通じて「自然」、「旅」、「人」、「走ること」のすばらしさや楽しさを伝える。