引きこもりを脱出するために山口県の観光スポットを巡る160kmを走ってみた

こんにちは!日本一周を走った、旅ランナーいっちーです。

2016年も終わりが近づいている12月の年の瀬。

僕は、11月に走って47都道府県を周る「日本一周☆旅ラン」を終え実家の山口県長門市にいました。


<日本一周☆旅ランの各地にて>

1年2ヶ月、12,229kmに及ぶ日本一周を終えた今、喪失感がただよっていました、、、、、

3週間ほどほとんど走らず、ヒッキーになっていた時もあります。

やりたいこと。やるべきことはたくさんあるんだけど、イマイチ気分が乗らない。。。

そんな感じでした。

それでも、日本一周を終えて思っていたことがあります。それは、

「走ること。旅すること。の楽しさ、素晴らしさをもっとたくさんの人に知ってほしい!」

ということです。

むしろ今の僕にあるものは「走ること」だけなのかもしれません。


<日本一周中の一枚>

そんな12月の冬の寒いある日、ふとパソコンでグーグルマップをぼーっと見ていました。

すると、ふとした時に、一筋の光が見えてきたのです。

日本海と瀬戸内海まで何キロ?山口100マイルチャレンジをはじめたきっかけ

年末になると、今年の世相を漢字を一文字で表す日本漢字能力検定協会主催のキャンペーンがあります。2016年の漢字は、「金」になりました。

    • オリンピックで金を獲得
    • 政治の資金問題
  • PPAPのピコ太郎が金色

などの理由で金に決まったみたいですね。オリンピックがやはりでかいのかな。

といういことで、僕個人の漢字一文字を考えたときに出てきたのが、

「走」

でした。「挑」ともすこし思ったのですが、やはり「走」かなと。

そして年の瀬もせまり、今年の走り納めとしてどうしようか?と考えていました。

そんなある日、ふとパソコンでグーグルマップで山口県をぼーっと見ていました。

すると、ふとした時に、一筋の光が見えてきました!

山口は日本海と瀬戸内海に面している県です。

「日本海と瀬戸内海までをつないで走ったら何キロあるかなあ?それで地元の長門市に帰ってきたらおもしろくないか。」

行って戻ってくるのはおもしろくないのでグルーっと一周できるルートを組んでみたら面白くない?!と思い距離を測ってみると、

ちょうど160km(100マイル)あるでないの!!(ちょうどってどういうこと!?)

「これだ~~~~!!」

と叫んだワタクシ。

人は、「100」という言葉に魅せられます。

「100万円」

「100円均一」

「100名山」

「道100選」

などなど、人は100という言葉にとりつかれ、魅せられていくのです。

160kmはマイルで換算すると、100マイル!

「これは走るしかないでしょ~!!」

とわけのわからない理由づけをするワタクシ。ということで、『山口100マイルチャレンジ』をすることになったのです。

ちなみに僕は、最長で100km(ここでも100!!)のウルトラマラソンまでしか走ったことがなかったので、それ以上の距離を走ることや、夜通し走るという経験をしたことがありません。僕にとっては初めての経験でもあり挑戦です。

また今回は、100マイルの挑戦記に加えて、一人旅やグループ旅行、家族旅行などにも使える「おすすめ観光スポット」もアップしていますのでぜひ参考にしてみてください。

もちろんこの山口100マイルチャレンジを走る僕みたいな変態ランナーが現れるのも切に願っております。(笑)

そして時は過ぎ、12月31日当日、必要な装備品を準備し山口県長門市を午前9時にスタートしました。

ルート

山口県長門市→萩市→山口市→防府市→山口市→美祢市→長門市

で約100マイル(160km)となります。

コースの特徴

山口県の山陰側(日本海)から山陽側(瀬戸内海)も通り2つの海を楽しめるダイナミックなコースです。

萩市から防府市までは『吉田松陰』や『高杉晋作』などの幕末の志士たちも通った道「萩往還」を通り標高400~500mの山々を駆け抜けます。

データ

時間:12月31日9:08スタート、1月1日11:52分ゴール(26時間44分)

距離:165km

平均ペース:9分40秒(休憩含む)

消費カロリー:12,300カロリー

山口100マイルチャレンジ

長門市をスタート。日中は最高の走り日和

家のある山口県長門市をスタートです!

長門市を出発し序盤は、日中時間を走ります。気温も10度前後と走りやすい気候でした。萩市までは国道191号線を進みます。

のどかな風景が広がります。

萩市に入り、

市街地を抜けていきます。山口県を走っているとガードレールが黄色いことに気づきます。

ガードレールと言えば白ですが、山口県では黄色がスタンダードなんですよ〜。

なんでも、昔山口国体(昭和38年)が開催されるときに、当時の山口県知事が、ガードレールを山口県特産の夏みかんの色しようとなり、多くのガードレールが塗り替えられたそうなんですよ。

土地によってこうやって特徴が違うのも面白いですよね〜。

さて、雑学を挟んで、日本一周中にも通った 萩の懐かし風景が広がります。

萩市では、萩城 跡の横を通って『菊が浜』へ。

ここは、とてもきれいな砂浜なんですよ~。以下のおすすめ観光スポットでも紹介しています。その後、菊が浜すぐにある喫茶店『サワモト』さんへ。

サワモトさんは日本一周に出会い、お世話になったのでゴールの報告にと寄りました。僕のことを覚えているのかわからなかったですが、入ってみると覚えてくださってたみたいです。

「ゴールしたのをFacebookで見てましたよ!」と言ってくれました~嬉しいですね。

日本一周のときに一緒に撮っていただいた写真です。

室内は、とても落ち着いた雰囲気です。

コーヒーとピザをいただきました〜。とても美味しかったです!

室内にはおじいさんが書かれたという萩の風景などが描かれていてとても素敵なんですよ〜!

さて、さわもとさんにあいさつをして先を進みます。

萩の城下町を通り、まちを進みます。

萩バスセンター近くにある、ゲストハウス『ruco』さん。

日本一周中に泊まった宿でとてもすてきな場所です。

室内はこのようめちゃめちゃおしゃれになっています。1、2階はカフェスペースになっていて地元の人と宿泊者の交流ができるスペースになっています。

今回は前を通って松陰神社を目指します。

松陰神社で今年最後のお参りをして、今年1年の感謝を告げます。

松陰神社を進み終え、萩往還を通って防府市をめざしますが、ここで萩の魅力あるおすすめ観光スポットを紹介します~。

萩市のおすすめ観光スポット

松陰神社(松下村塾)

明治23年(1890)に吉田松陰をまつって建てられた神社です。学問の神として信仰されています。社殿の御神体には、吉田松陰が生涯愛用した赤間硯と父、おじ宛に書いた遺言がおさめられています。

隣接して、「松下村塾」「吉田松陰幽因ノ旧宅」があり、この2つは「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されています。

吉田松陰歴史館では模型とともに吉田松陰の半生を学ぶことができます。

吉田松陰誕生の地

吉田松陰は天保元年(1830)に萩藩士『杉百合之助』の次男として誕生しました。すぐそばに吉田松陰と金子重輔の銅像が置かれています。

この銅像は海外密航を企てた吉田松陰と金子が下田海岸でペリー艦隊を見ている様子を現わしているそうです。

また誕生地は「団子岩」という高台にあり萩のまちを一望できます。

また、すぐ横に吉田松陰や高杉晋作、久坂玄瑞のお墓もあります。

伊東博文旧宅(別邸)

伊東博文は、天保12年(1841)に農家の子供として誕生しました。吉田松陰が行う松下村塾に入りその才能を開花させていきました。

明治18年(1885)に初代内閣総理大臣に就任し、4度内閣を組織しました。旧宅の横に萩焼きでつくられた伊東博文の陶像があります。

萩城城下町(旧宅)

萩のまちは、昔のまち並みが色濃く残されています。城下町エリアの道は「日本の道100選」にも選ばれており、歩いて散策を楽しめます。

このエリアには豪商の家や高杉晋作誕生地、第26代内閣総理大臣田中義一誕生地があります。また萩焼やカフェなどもたくさんありすてきなお店が並んでいます。

高杉晋作誕生の地

高杉晋作は天保10年(1839)に萩藩大組士の高杉小忠太の長男と産まれました。大組士とは、中士上等のくらいなので今の会社で言うと課長、部長あたりになるのでしょうか。

藩の学校である明倫館に通う一方で吉田松陰の松下村塾で学びその才能を開花させました。

木戸孝允旧宅

木戸孝允は、天保4年(1833)に萩藩医『和田昌景』の長男として産まれました。別名『桂小五郎』でも知られ維新の三傑として幕末維新の立役者です。

坂本龍馬仲介のもと薩摩藩の『西郷隆盛』『大久保利通』らと「薩長同盟」を結びました。建物内は、誕生の間や幼少時代の書の掛け軸、写真などが展示されています。

鍵曲(かいまがり)

出典:萩市観光協会公式サイト

直角に曲がった通路です。左右は高い塀で囲っています。戦いの際に見通しを悪くすることで防御しやすくするためにこのような形になりました。江戸時代に思いを馳せて歩くのも面白いですね。

東光寺

萩藩主の毛利家をまつるお寺です。毛利家は奇数代の藩主はこちらの東光寺に、偶数代の藩主は大照院へまつられます。

「総門」「三門」「鐘楼」「大雄宝殿」は国の重要文化財に指定されています。パワースポットです。

大照院

 

萩藩主の毛利家をまつるお寺です。毛利家は奇数代の藩主は東光寺に、偶数代の藩主は大照院へまつられます。

「本堂」「くり」「書院」「鐘楼門」「経蔵」は国指定重要文化財になっています。(平成30年まで本堂・経堂の保存修理工事中のため本堂・経堂は見れない。墓所、書院は見学可)

菊ケ浜

萩城跡から萩湾に沿って続く白砂青松の海岸です。快水浴場100選にも選ばれているとても綺麗な海岸で夏には海水浴の人で賑わいます。砂浜からは指月山が見え散策にも絶好のロケーションです。

萩反射炉

明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されています。硬い鉄を融解し鉄製大砲に必要な軟らかく粘りのある鉄に変えるためにつくられた反射炉です。

鎖国の江戸時代にあって当時の技術が注ぎ込まれた遺産です。

恵美須ヶ鼻造船所跡

明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されています。徳川幕府時代ペリーの黒船が来航し嘉永6年(1853)に、大船建造禁止令を解禁し、翌年に萩藩に軍艦をつくるように命じました。

そのときにつくられた場所が恵美須ヶ鼻造船所です。

笠山


出典:萩市観光協会公式サイト

北長門海岸国定公園の真ん中に位置します。標高112mで山頂に直径30m、深さ30mの小噴火口を持つ小さな火山です。

「笠山椿群生林」は25,000本のヤブツバキが自生しており、毎年2~3月頃に見頃となります。

夏みかん

萩の名産である夏みかん。 名前の通り夏に食べ頃を迎えるみかんです。原樹は隣の長門市にある青海島にあり、今では萩のまちの財政を支える特産物になりました。

萩のまちは、「かおり風景100選」にも選ばれており、旬の時期には夏みかんの香りを感じて散策も楽しめます。

幕末の志士たちも通った萩往還を進む

萩からは萩往還という旧道を南下し山口市、防府市へと進みます。

萩往還は、毛利氏が慶長9年(1604)に萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれました。萩市と防府市(三田尻港)までをほぼ直線で結ぶ全長約53kmの道です。

出典:歴史の道萩往還

また、毎年ゴールデンウイークの5月2,3,4日に萩往還マラニックがあるのでもランナーにとっては有名です。僕も2017年に140kmの部に参加をします。

萩往還マラニックは再来年の2018年に終わってしまうということで残念ですが今年の140kmを楽しんで完走したいと思います。

そんな歴史ある萩往還を進みます。

道の駅萩往還に到着です。歴史人物の像が外にたくさん建っていました。

萩往還はこのような看板が分岐点を中心にあるのでわかりやすいです。そうそうは迷わずに進めると思います。

山々の峠を越え、

山口市に入ります。

本日の最高地点も通過~。

~国宝五重塔~瑠璃光寺へ

山口市のまちに入った頃は日が暮れて夜の闇につつまれます。

そして、瑠璃光寺までやってきました。

ここは萩往還マラニックのスタート&ゴール地点でもあります。

寺内にある五重塔は現存されているもので10番目に古く、国宝に指定されいます。日本三大名塔にも選ばれているとても貴重なものです。

夜10時までライトアップされているので昼夜ともに楽しめます。

ここでその他の山口市のおすすめ観光スポットをご紹介します〜!

山口市のおすすめ観光スポット

山口ザビエル記念聖堂

ザビエルが山口に訪れてから400年を記念して建てられた記念聖堂です。平成3年に火事で焼失してしまい、再建への募金活動を経て、新たに平成10年に記念聖堂が建設されました。

礼拝堂には美しいステンドグラスがあり、聖堂からは15分おきに鐘の音が鳴り響きます。

ザビエル記念公園


出典:山口県観光振興課

山口ザビエル記念聖堂とは違う場所に位置します。この地に以前あった大道寺を拠点にしてザビエルが布教活動をしていました。

その後、ザビエルは仲間の宣教師に任せ日本で最初のキリスト教会ができ、はじめてのクリスマスも行われた場所です。

ここからクリスマスが普及していったんですね~山口やるじゃないか~!

中原中也記念館

中原中也は、明治40年(1907年)山口市湯田温泉出身の詩人です。30年の短い生涯を詩に捧げました。中原中也の名は死後に高まりを見せ、今では近代文学の代表的な詩人の一人と言われています。心に突き刺さるような独特の中也の世界観が広がります。ここでは、代表作のひとつ『サーカス』を紹介します。


出典:中原中也・全詩アーカイブ

常栄寺・雪舟庭

雪舟は、室町時代に生まれた水墨画家です。雪舟庭は、約500年前に大内政弘が別荘として、雪舟につくらせたとされる庭園です。現在、国の史跡名勝にしていされています。

長門峡

山口市阿東~萩市川上にまたがる、全長12kmの山口県を代表する渓谷です。国の名勝地に指定されています。奇岩や滝、緑など四季折々の表情を楽しませてくれます。

山口情報技術センター(YCAM)


出典:山口情報芸術センター

図書館・美術館・ホールなどの複合施設で、おもにコンピューターや映像を使ったメディアアートの企画展を行っています。

映画館も上映されており、コアなファンが集まるスペースです。各種イベントが行われています。

湯田温泉

   

白きつねが見つけたとされる温泉です。泉質は、アルカリ性単純温泉で肌になじむ柔らかいお湯で、肌がすべすべになる美肌の湯です。

豊富な湯量も特徴で、1日に2000トンが湧き上がっています。疲れたからだを癒してくれますね~。

ういろう(外郎)

「ういろう」というと、名古屋をイメージする人が多いかもしれませんがここ山口を代表する銘菓でもあるんです。

ちなみに、名古屋のういろうは、うるち米の米粉を原料としいて、もっちりしているのが特徴ですが、山口のういろうは、わらび粉を原料としていて、食感はさっぱりしていて名古屋よりも食べやすいのが特徴的です。

この食感がまたくせになる味で名古屋のういろうよりも山口のういろうのが好きというファンも多いんです。

防府天満宮を目指す

防府市までは基本的平担な道を進みます。国道262号線に沿って萩往還もあるようなのですが途中道を見失い、方面的には国道262号を進めが問題ないので前へと進みました。

佐波山トンネル手前で萩往還の標識が現れたので、トンネルを避けちょっとした峠道を進みます。

防府市へ入り、目指すは防府天満宮です。防府天満宮は、菅原道真を学問の神として祀った神社です。

約90km地点で防府天満宮に到着です。

参道を進み、「もうちょっと頭が良くなるように」お参りをしようとしたのですが、門が閉まっていました。

午後9時あたりだったのですが、初詣の参拝のためにしまっていたのでしょうかね。

本殿には入れませんでしたが、横にある春風楼という場所から防府市のまちを眺めることができます。

なかなかいい景色です。日本一周中にも寄った場所で印象的な風景だったのを覚えています。

2016年最後の晩餐はやはり、年越しそば

そして防府天満宮を後にし、萩往還の最終地点である三田尻港を目指します。

途中のコンビニで休憩&栄養補給ということで、年越しそばのどんべいをいただきました~いや~あったまる。

夜になりかなり冷えてきたのでここからは寒さにも注意しなければいけません。

さて、三田尻港を目指して進みますが、イマイチ終点の場所がわからず、、、

体力も低下しているため探す気力もなく、「ここらへんだろう!」と自分だけの三田尻港にして新山口方面へと走ります。(笑)

ここで、防府市の観光スポットをご紹介します。

防府市の観光スポット

防府天満宮

防府天満宮は、『菅原道真』を学問の神として祀った神社です。福岡の太宰府天満宮や京都の北野天満宮と並び日本三大天神と言われています。

年間を通じて様々な行事が行われています。春風楼からは防府市のまちが一望できます。

毛利氏庭園・毛利博物館

出典:おいでませ山口へ

萩藩主の毛利氏に大正5年(1916)に建てられました。邸宅は、国の重要文化財に指定された建築です。

邸宅の一部を、毛利博物館の展示室として使用されています。国宝や重要文化財をはじめ、毛利氏ゆかりの品が展示されています。

周防国分寺


出典:周防国分寺

国分寺は、聖武天皇が仏教による国家の安定をはかるために各国に建てられました。その一つが周防国分寺です。重要文化財の金堂には、平安時代の木造日光・月光菩薩像などの仏像、宝物があります。

大平山山頂公園


出典:防府市公式ホームページ

大平山は標高631mで防府市で一番高い山です。山頂部分が公園になっており、山頂付近では防府市のまちと瀬戸内海の大パノラマが楽しめます。

春には10万株のつつじが咲き誇ります。見頃は例年5月上旬から中旬にかけてです。

阿弥陀寺


出典:Wikipedia

東大寺再建のために、重源上人が文治3年(1187)に建てたとても古いお寺です。

通称あじさい寺とも呼ばれています。境内には80種4000株のあじさいが植えられています。見頃は6月頃です。

英雲荘(三田尻御茶屋)

萩往還(萩城下~三田尻)の終地点です。萩藩主の毛利家が参勤交代や領内巡視の宿泊施設として建設されました。幕末には志士たちが出入りする場所としても使われました。

天神鱧(テンジンハモ)

出典:防府市公式ホームページ

瀬戸内海の西に位置する防府市は魚の豊富な地でもあります。佐波川から流れ出た栄養分が、ハモのエサとなる小魚を育て、ハモがたくさんとれます。

この防府市でとれたハモを「天神鱧(テンジンハモ)」とブランド化し、多くの人の舌を喜ばせています。旬の時期は6月です。

2017年の走り走り初め

ここからは、名所らしい場所もなく、また夜なので暗い中道をただただ進みます。

国道2号線を進み、そろそろ0時を迎えるな~と思って時計を確認すると、

0時02分!!

「過ぎてしまった~!」というこであっけなく2017年を迎えました~。

2017年の走り初めです。

みなさんどうぞ今年もよろしくおねがいします。

FBで新年のごあいさつをし、前へと進みます。

山口市小郡(新山口)に到着し、の最後のコンビニにて補給食などを調達します。時刻は午前3時です。

ここから先は長門市のまちまでお店がない(昼間ならあるが夜中は空いていない)ので補給食を調達。

ここまでそばやおでん、おにぎりなんどの固形物は食べていましたが、多くはエナジージェルでの補給が中心です。

正直そんなに食欲がないので、エネジージェルを大量買いして深夜ランへと進みます。

100kmを越え未知の領域へ。居眠り走行?!

小郡からは美祢市まで山口秋吉自転車道があるのでその道を進みます。街灯もほとんどなく、途中にふとでてくる街灯が逆に不気味だったりします。

ごく稀に、横の県道に車が走ります。そんなさみしい道をただひたすら、前へ前へ、小郡あたりが100kmだったので、すでに僕にとって未知の領域です。

気温は0度前後 で暗い道を夜通し走るのは精神的にも肉体的にもきつい。。

ましてや深夜の時間帯。3~4時頃まではまだ眠気はなかったのですが5時あたりになると疲労と寒さで眠さが襲ってきます。

一瞬、眠りながら進んで「ハッ!」としました。そして、また眠る。といったはじめての体験もしました。

初日の出は、、、ゴールの瞬間

美祢市は、日本三大カルスト台地の一つである『秋吉台』で有名です。


出典:カルストドットコム

秋吉台は、3億5000年の時を経て形成された石灰岩のカルスト台地です。秋吉台の草原は人の営みである野焼きによって生まれたものです。

草原や野に咲く花々、岩や風など四季折々の秋吉台の自然の表情を楽しめます。

また、秋吉台の地下には強大な鍾乳洞が広がっています。代表的な鍾乳洞が『秋芳洞(しゅうほうどう)』です。


出典:カルストドットコム

秋芳洞は、秋吉台の地下100mに位置し、洞内は常に17度が保たれているんです。1年中快適な温度で過ごせます。自然が織りなす造形美を楽しむことができますよ。

さて、そんな魅力いっぱいの美祢市を過ぎそこから県道31号線を進みます。

徐々に時刻は朝へとむかい、少しずつ空が明るくなってきます。

それとともに眠気もだいぶなくなってきました。

待望の初日の出は山間を走っているのと空は雲で覆われていたので見ることはできませんでした。というよりも寒さと疲労でそんな余裕がなかったです。

31号線を長門市方面へさらに進むと、名水100選にも選ばれている、『別府弁天池』があります。

出典:カルストドットコム

こんな、神秘のブルー色を見ることができます。名水を使った農業や、マス養殖も行っていて、マス釣りやマス料理を楽しめます。

この別府弁天池を過ぎたところで父が朝ごはんの差し入れに車できてくれました。が、

ほとんど食欲はないので、雑煮の汁と煮物を食べて前へと進みます。(この時は写真を撮るヨユウもなかった。。。)

この時点で145km、時刻は1日の8時頃。あと1時間でまる1日を迎えます。

あと、少しの力を振り絞り、前へと進みます。長門市の看板が見えあともう少し。。。

距離からすると15km程なのですが、その15kmが長い。

足もまったく上がらず歩いているのか走っているのかわからないペースです。

自分の弱さを痛感する場面でもありました。

それでも、一歩一歩前へと進めば必ずゴールは近づきます。

そのことは、日本一周のときに実体験として経験しているのでそういった経験は確実に活かされていました。

「1万キロという果てしない道を自分の足で走れるのか?」

長すぎて想像できないが、毎日1歩1歩前へと進んでいれば必ず1万キロに近づく。

だから、1日1日を楽しんで、一歩一歩前へと進めばいい。

それと、今回の100マイルチャレンジも同じこと。どんなに遅くても、ゆっくりでも、止まらない限りはゴールできます。

そして、ついに昼前の11時52分に実家に到着!ゴールをすることができました。

厳しい結果となりましたが2017年の走り始めとして、自分自身にとっても良い経験となったランでした。

応援していただいたみなさん、ありがとうございました。

2017年も色々と挑戦していきます~!

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

走って47都道府県をめぐる旅「日本一周☆旅ラン」を実施&完走(2015-2016)。 サブスリー達成。トライアスロンアイアンマンレース完走。「走る」を通じて「自然」、「旅」、「人」、「走ること」のすばらしさや楽しさを伝える。